2024年 6月2日(日)、第88回「円覚寺夏期講座」を受講させていただきました。今回はそのレポートをお届けします。
こちらは当日のプログラムです。
第88回円覚寺夏期講習会 6月2日(日)最終日
- 第1時限( 9:00~10:30) 横田南嶺老師 「信心銘提唱」
- 第2時限(10:50~12:20) 帯津良一先生 「生と死の統合社会に向けて」
かたよらない こだわらない とらわれない 好き勝手に生きる
まず、南嶺老師が帯津先生をご紹介される冒頭で「健康で長生きするにはどうしたら良いか?」と問われた時に、帯津先生がこのようなことを提唱されたそうです。
かたよらない
こだわらない
とらわれない(敢えて漢字ではなくひらがな表記しました)
好き勝手に生きる
聞き方によっては誤解を生む言葉ですが、人に迷惑をかけることなく おおらかにゆったりと人生の後半を楽しむことであって、それが養生法にもつながると!
なんとも奥の深い、88歳になられた帯津先生だから言える名言だと思いました。
普段から吐く息に気持ちを込める
またこの日に間に合うように出版された(正確には6月11日初版発行)「心とからだを磨く生き方 『よい呼吸』が人生100年を支える(発行:インターブックス)」をご紹介されたのですが、トップ対談の中でも、非常に呼吸のことを大事にされていることが分ります。
人は呼吸をしないで生きていくことはできません。
ましてやこの世に生まれてくる時は「おぎゃ」と息を吐いて生まれ、亡くなるときは息を吸って(息を引き取る)この世に終わりを告げます。
と言うことは、吐くことを最初の自然の摂理として生まれてくる。
「普段から吐く息に気持ちを込めると健康によい」という意味も、私の中で納得でした。
「生と死の統合」という表現
帯津先生のお話の中には、「生と死の統合」という表現が何度もでてきます。
先生は、「寄り添い合うには、『体で寄り添う、心で寄り添う、命で寄り添う』があると思うのですが、医療者の方は命に寄り添っておられる方はあまり見かけない」ということを言われたご経験があるそうです。
そのご経験から、生きている人が「生と死の統合」を果たして、ある展望を持って死後の世界に向かっていく。
そういう正解を作ることがホリスティック医学の究極じゃないかと思うようになったと言われ、命について死をもって終わりではないこと、さらに言えば「統合」の考え方に、自分の死の捉え方が楽になったように感じました。
近年、身近に死を感じ、さらにお葬式(告別式)に参列し最期のお別れをする機会が少なくなってきており、ともすれば、生きることばかりに目がいきがちになってしまい、死の話についてはタブー視される傾向があります。
そんな中で、今回のお話は、生まれ、そして亡くなることに対して一条の光を与えて下さったように思います。
最後になりますが、南嶺老師が本の中で紹介して下さっている俳句(p.137)が素敵でした。
浄土には待つ人多し落ち椿
なんと微笑ましい死生観ではありませんか。
私も「いきいき長寿」、最期はこのようにありたいと思いました。